目次
前回の内容
ある日、大金を手にした人生
母の失敗
家族5人、裕福な生活の裏側
家庭崩壊へ
家庭崩壊から学んだこと
前回の内容
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【【1】何をやっても貯まらないアナタへ】目次
イントロダクション
お金との付き合い方
お金がある老後の生活
このシリーズは、いままで何をやっても続かなかったワタシを
振り返るために、わたしが今まで経験してきたことや
今おもっていることを文章にまとめたものです。
ある日、大金を手にした人生
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さて、ある日ふってわいた大金を手にしても不幸になることが
多いようです。
ここからはわたしの母の話になるります。
母は一度離婚しています。
その原因となったのは夫婦関係もありましたが、
やはりお金が密接に絡んでいました。
わたしが育った家庭は、いわゆる中流家庭の中でも
ちょっと裕福な部類の家庭だったようです。
まず、祖父母が土地や現金をたくさん残してくれていました。
もちろん田舎と言うこともあったのですが、当時わたしの実家には
家が2件、納屋3つ、そのほか農地ばかりでしたが、土地がごろごろ。
田んぼに畑にぶどう園に山に。実はわざわざ芝生をしきつめた、
ゴルフのパター練習場なんぞもありました。
小学生の頃はよくそこでゴルフあそびをし、しばしば父と
打ちっぱなしの練習場にもでかけていきました。私たち専用の
ドライバーやアイアン、パターなどのゴルフセットも揃えて
くれていました。
稲刈りが終わった田んぼには、稲を刈ったあとの稲の根元を
↓↓これです。

ティーアップがわりにゴルフボールを置いてゴルフごっこ遊びも
よくしました。
さらに祖父母は農業とそうめんづくりに精をだしおいしい
食べ物には、事欠かず。
春先はイチゴを畑からとってはちょっと水道で洗って
わたしの口へ、夏はすいか、秋はぶどう(しかも巨峰)を
もいだ先からほおばっていました。食べ放題です。
今思えば、それは田舎の優雅な暮らしそのものでした。
父は大手企業本社に勤め、収入も安定。
でも、そんな光り輝くような時代は祖父母が相次いで
他界して終わりを告げます。
それは私が小学校5〜6年生の時でした。
遺産相続〜わたしが始めて目にしたお金にまつわる醜い争い
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こどもが目にしても、『恐ろしかった遺産相続』。
いまでも、ふとその映像が頭にでてくるのですが、
こどもであるわたしがなぜか皆を上から見下ろしている映像です。
実際そのシーンをこの目で見たのか、親から話をきかされて、
夢に見たシーンなのかははっきりしていません。
ただ、『恐ろしさ』だけが、記憶にこびりついています。
おじさん(私のお父さんのお兄さん)が、遺産相続の件で、
酒をのんで、包丁をふりまわして、わが家に乗り込んでくる。
こどもの前でも平気で『ちょっとねぇ、遺産の話なんだけど』
と、切り出してくるおばさん。
いままで、みたこともない親戚が、次から次へとやってきます。
そのことを思い起こしても、祖父母が残していたものは本当に
多かったようです。土地、預貯金、立派なお葬式・・・・。
そしてそれ以外にも多額の生命保険がかけられていたようで、
家計を管理していた母は一気に現金をつかむこととなりました。
そこから、母はどうしたかと・・買い物三昧です。
いわゆる買い物依存症です。
母の失敗
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常々わたしは、母は大人だけど子どもっぽいな、と感じていました。
よく言えば明るく天真爛漫で行動力があります。
悪く言えば、周囲への配慮なく勝手な行動をしてしまう
、という性格です。
そして、お金や資産に目がくらみやすい。
彼女の最大の失敗といえば、
実家が私が2歳頃、新しい家を建てたときに、やめておけばいいのに、
祖父母と同居しはじめたことでした。
末子だった父曰く、
『ほんまは、新しい家が建ったら、末っ子同士やし、
実家をでて、隣の市の会社の近くに住む予定やってん。
実家は一番上の兄が継いだ方が自然やからな。
でも、ある日家に帰ってきたら、荷物がほとんどなくて、
新しく建った家におかあさんとおまえらが移動しててな。
びっくりしたわ。それ以降、僕の兄弟からお母さんいじめが
はじまったようなもんやなぁ』
なのだそうです。
確かに思い起こせば、毎週毎週おとうさんの兄弟は
小さい子供達を実家に預けに来ていました。
わたしは毎週のように
いとこたちが遊びに来て、たまに宿泊していくのが
楽しくて仕方はありませんでした。
1歳〜小学3年生までのこどもが計7人。うち男6人。
その面倒をみていた母はたまったものではなかったでしょう。
今、わたしは1歳3歳児の2人の子育てでアップアップ
です。これにさらにやんちゃな男の子5人が加わるのです。
想像できません。
そういえば、私の祖父母はいつも農業に
精をだしていましたので、わたしたちの相手をしてくれた
記憶はまったくありません。
そうしているうちに、嫁姑舅関係も悪化し、夫婦関係も
悪化していきます。伯父さんたちから母へのいじめも
エスカレートしていたらしい。
ある日、彼女は入院しました。
自律神経失調症で拒食症になってしまい、脱水して
救急車ではこばれます。その後なんどか自殺未遂もくりかえしたり、
お父さんにもしかして『毒を盛ったの??』と疑ってしまうような
一幕もありました。
母は自立神経失調症からパニック障害に発展していました。
彼女のタカが外れるとそれはそれは狂気そのものでした。
ただ、家族であるわたしたちはその病気を理解することが
できず、そこにはいろんな葛藤がありました。
家族5人、裕福な生活の裏側
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父は、大企業に勤め、家や土地、現金など、祖父母の残した
遺産をひきつぎ、兄・わたし・弟もすくすく成長。
わたしたちは、ほしいと思った本や服はいくらでも
躊躇なく買い与えてもらえた。
外側から見ればそれはもう、普通の、ちょっと裕福で
しあわせそうな5人でした。
でも、その舞台裏は暗い暗い、光がなかなかさしこまない
舞台裏でした。
わたしにとって、祖父母がなくなるまでが『光の世界』
そして、その後は『闇の世界』。今ではそう感じています。
ここからは、その『闇の世界』のお話です。
ちょうど私も第2次反抗期だった、さなか、こんな出来事がありました。
わたしは、車ででかけていたときに、彼女をおこらせてしまいます。
『お母さんをおこらせたらどうなるかわかってるんやろうなぁ!!』
と、ハンドルを握っていた彼女は一般道を100キロを超えるスピードで
暴走します。
正直わたし、ジェットコースターよりもこわかったです。
泣いて、ごめんなさいをくりかえして、ようやく、スピードを
緩めてもらえて、無事自宅にも生きてたどりつけました。
母のパニック障害という病気を理解できていなかった私は
こういった失敗を何度となく繰り返していました。
さて、当時、日本はバブル一直線で、高金利時代。なにも考えなくても
お金が殖える時代なので、夢の金利生活に近い毎日を送れていた
はずでした。
そんな訳で働く必要もないのに、ある日突然母は正社員で
働き始めます。
営業マンになった彼女は成績をあげるために空売りを繰り返した様で、
その空売り=結局彼女がお金を支払うという構図で、
月収が50万円あった月もあったようですが、どんどん資産は目減りして
いったようです。
わたしたちは給与明細を自慢げにみせられるばかりだったので、
まさか家計がそんな状態であったなんんて思いもしません。
そして昔からよくなかった夫婦仲は悪化の一途。
そこで離婚するために彼女はこっそりマンションを買って
ある日、私達をつれて母は家出を決行します。
しかし、家では1日で終了。
マンションとマンション内の家具だけがのこります。
しかし、それは現金で買ったわけではなくすべてローンで
購入しているという有様でした。
マンション自体も古いマンションでしたので、その後父は
そのマンションを売りに出すために苦労したようです。
そうして、また実家で元どおりの生活が始まります。
元通りと思っていたのはこどもの私だけで、実際には
元通りではありませんでした。いろんな亀裂は走った
ままです。
その亀裂は目で見ることはできません。
ただ、何かの拍子に感じることはできました。
目でみえたもの・・・それは実家に溢れかえる
『モノ、モノ、モノ・・・』
母が大量に購入した服。
クローゼットにもタンスにも入りきらなくなり、
応接間のソファに常にスーツが山盛りにつみあげられていました。
お客さんから下取りしてきた商品。
それから、わけのわからない、ジュエリーショップにあるような
大きなショーケース。
そこにはチープなものから高価なものまでアクセサリーが
ジュエリーショップさながらに展示されていました。
私には大量の着物。
たとえば、帯・振袖などのセットで確か200万円も
するゴージャスな着物とか、、が与えられました。
で、いざ、高校に入学して大学に進学したいというと、
地元の短大をすすめられます。兄はすでに遠方の私立大学に入学し、
一人暮らしをしていました。
そして、わたしが
『なんで、おにいちゃんは高校でベベに近い成績で大学
いかせてもらってるのに、おにいちゃんより成績がいい私は
大学にいかせてもらえないの??女やからあかんて、
なんでやの??』
と、ひつこく文句を言っていると母は条件をだしてきました。
『高校の成績が5本指に入ってたらね。
必ず奨学金制度を利用すること。仕送りは毎月5万円のみ。』
で、この条件をクリアした私は家計のこともしらずに、
無事大学へ入学することになります。
とにかく、けんかの耐えない夫婦が暮らす実家に
いること、父からは母の悪口を聞かされ、
母からは父の悪口を聞かされ・・・そんな実家に
いるのがつらくてつらくて、とにかく家をでたかった
というのが大学進学の一番の動機でした。
当時のこの不毛な動機ですが、いまでは親にも自分自身にも、
そして、特に弟に申し訳ないなぁと思っています。
家庭崩壊へ
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その大学時代にとうとう、実家にはほとんどお金がなく、
借金だけがたくさんあることが判明します。そして、
判明したと同時に父は、悪どい消費者金融系の借金だけは
生命保険を解約するなどの策を講じて、現金を捻出し
返済をすませます。
さらに、彼が次にとった行動は離婚です。協議離婚して、
役所に離婚届を提出し、母に破産手続きをとるように勧めました。
しかし、母は破産手続きを選択せず、
『営業の仕事でえらい高い授業料はらったけどな、
そのおかげで営業力はついたから使ったお金は
また営業の仕事でとりかえすわ』
と、借金返済の道を選びます。
すでに私は一人暮らしをしていたので、そのときの家の状態を
知っているのは私の弟だけです。弟の話をきくと、本当に
悲惨な状態だったようです。
お父さんは酒をのんで『もう俺の人生おわったわー』と
いいながら夜中帰ってきて、いきなり仏壇の前で大声で
読経し始める・・・なんてことはしょっちゅう。
届け上は離婚していたものの、母も父も一緒に暮らしていた
ものだからけんかや暴力が絶えない家庭になっていたようです。
さらにのんだくれたお父さんは飲酒運転で交通事故をおこします。
勤務していた課が人事課や労務課だったため、会社にその報告が
行く前に辞表を提出するという形で、彼は職を失うことに
なりました。
そして、その父の失業保険の支払いが終了すると同時に
母は関東へと一人旅立ち、そこで母は今の旦那様と再婚します。
いや、結婚が約束されていたから関東に飛び立った様子でした。
いったいどこで、彼らが知り合ったのかは私にもわかりません。
これが、ふってわいた大金をつかんだ母の話です。
いま現在、母はフルタイムで働いていて、
借金残高が40万円切ったとうれしそうです。
超ドケチな旦那さんと再婚したおかげで、買い物依存症が
直ったことも幸いしました。
ただ、この人のすごいところは
それでもポジティブに生きているとうことです。
それともうひとつすごいことは、一度もこの母の口からは
『お金がないからダメ』
という言葉を聞いた記憶がないのです。
一番多い時期で借金だけで毎月15万円払っていたそうです。
わたしなら、絶対『お金がない、お金がない』
と連呼してしまいそうです(^^;
いや、もしかしたら、彼女は『お金がない』なんて言葉
いえなかったのかもしれません。
だって、当時家族全員『わが家は裕福だわ』と
信じて疑っていませんでしたもの!!
ただ、ちょっとこわいのが、いまの旦那様の資産と病気の話を
されたときです。
やはり、『資産に目がくらみやすい』
という性格は健在のようです。
その話題になるたびに、
『そんな、現金あっても、要介護になったら、お金かかるし、
1円ものこらんっておもっといたほうがえんちゃう??
それよりも、せっかくその年齢で年収500万近くあるんやから
老後資金がんばって自力で準備しときや。』
と、言ってます(笑)
家庭崩壊から学んだこと
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結局何がいいたいかといいますと、
お金がふってわいたとしても、そのお金とうまく付き合う術を
知らなければ、そのお金を価値のないものに交換するばかりです。
また、そのお金によって不幸になってしまう可能性が高くなって
しまいます。
物質的な欲求ばかりを満たしても、ステータスばかりを追い求めても
人間関係がぎすぎすしていれば、
そこには乾いた満足感しかえられないのです。
そして、乾いた満足感は人間関係を潤す『潤滑油』になるはずも
ありません。
そこからさらに人間関係はギスギスし、擦り切れていってしまいます。
わたしが育った家庭はそんな悪循環から抜け出せず、
とうとう、崩壊してしまった。。。というわかりやすい展開でした。
一昔前のベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』でも
記載されていた内容。
たくさんお金があっても、早いスピードでゴミに交換してけば、
結局はゼロになり、さらにゼロになるころには、ブレーキが
故障して、終には、マイナスになってしまうという事例。
私が育った家庭はその典型的な例だったと思います。
そして、わたしが育った家庭に足りなかったものは、
心の健康と家族で過ごす時間、、お互いを理解するための時間、
思いやりの時間、それらが足りなかったと感じています。
更新履歴
- 08/06/03 初回アップ



